「『傷ついた』だけで人を裁いていいのか?ハラスメント社会の落とし穴」

「ハラスメント」という言葉が連日のようにニュースを賑わせている中、私のところにも「ハラスメント」に関する相談がよくきますので、少し考えをまとめる気持ちで書き綴ってみます。

ハラスメント自体は決して軽視されるべきものではないという前提の話です。

職場でのパワーハラスメントやセクシュアルハラスメント、モラルハラスメントなどによって心身を傷つけられ、人生やキャリアに大きな影響を受けた方が数多くいます。

だからこそ、ハラスメントという考え方は、弱い立場にある人を守るために必要なものです。

しかし私は、これまでキャリアコンサルタントや婚活アドバイザーとして多くの方の人生に寄り添ってきた中で、近年ある違和感を抱くようにもなっています。

それは、本来「人を守るため」の制度が、時として言論の自由を奪う「人を黙らせる制度」へと変わりつつあるのではないか、ということです。

「何でもハラスメント」の時代になっていないか
近年、「傷ついた」「嫌だった」という本人の受け止め方が以前にも増して尊重されるようになりました。

それは、これまで見過ごされてきた被害を救済するという意味で、大きな前進だったと思います。

しかし一方で、その考え方が極端になると、「相手に悪意があったのか」「指導として必要だったのか」「事実関係はどうだったのか」といった客観的な検証よりも、「傷ついたと言った」という一点だけで結論づけられてしまう危険性があります。

もちろん、傷ついたという感情を否定することはできません。

しかし、感情と事実は同じではありません。

感情は尊重されるべきものです。

一方で、社会が誰かを評価し、処分し、責任を問う場面では、事実に基づいた冷静な判断も同じように大切ではないでしょうか。

「傷ついた」だけで人を裁いていいのか
相談の現場では、管理職や経営者からこんな声を聞くことがあります。

「部下を注意するのが怖い。」
「指導しただけでハラスメントと言われるかもしれない。」
「問題があっても、もう何も言えない。」

これでは健全な組織とは言えません。

人材育成には、ときに耳の痛いフィードバックも必要です。間違いを指摘することもあります。改善を求めることもあります。もちろん人格を否定するような言動は許されません。

しかし、業務上必要な指導までがすべてハラスメントとして受け止められる社会になれば、教育は機能しなくなります。誰も責任ある発言をしなくなり、結果として成長する機会を失うのは、AIに仕事を奪われる若い世代自身かもしれません。

反論する権利もまた、人権である
私が特に危惧しているのは、「訴える側」と「訴えられる側」の人権のバランスです。

被害を訴える人は守られなければなりません。それは当然です。

しかし同時に、訴えられた人にも、説明する機会や反論する機会が保障されなければ、公平とは言えません。

近年では、週刊誌やSNSなどで一度「ハラスメントをした人」というレッテルが貼られると、十分な事実確認が行われる前に社会的信用を失ってしまうケースも見受けられます。

もちろん、事案ごとに事情は異なり、一概に語ることはできません。だからこそ重要なのは、「誰が言ったか」ではなく、「何が事実だったのか」を丁寧に確認する姿勢です。

被害者を守ること。
そして、訴えられた人の人権も守ること。

この二つは決して対立するものではありません。

本当に守るべきものとは何か
キャリアコンサルタントとして、私は職場には心理的安全性が必要だと学びましたし、そう思っています。

しかし、心理的安全性とは、「誰も傷つかない空間」のことではありません。

安心して意見を言えること。必要な指摘も、お互いを尊重しながら伝え合えること。異なる価値観であっても、対話ができること。

それが本来の心理的安全性ではないでしょうか。

相手を傷つけないことだけを最優先にすれば、本音が言えない組織になります。

反対に、何を言っても許される社会になれば、人権侵害が起きます。

だから必要なのは、「どちらか」ではなく、「両方」を守るという視点なのです。

AI時代だからこそ、人間に求められる成熟した対話
これからAIがますます仕事を担う時代になります。

知識を覚えることや、正解を導き出すことでは、今後人間はAIにかなわない場面が増えていくでしょう。

だからこそ、人間にしかできない価値は、「対話する力」「相手を理解しようとする力」「異なる価値観を受け止める力」にあると私は考えています。それは、正しいか間違っているかではなく、経験という名の黄金の武器なのです。

気に入らない意見をすぐに排除する。異なる価値観を「ハラスメント」という言葉だけで終わらせる。

そんな社会では、人と人との信頼関係は育ちません。

成熟した社会とは、違う考え方を持つ人がいても、お互いの尊厳を守りながら議論ができる社会だと思うのです。

15年以上の相談現場を通じて感じてきたこと
キャリア相談や婚活相談を通じて、多くの人間関係の悩みに寄り添って私も今年で15年になります。

傷ついた人の声も多く聞きましたし、涙も数え切れないほど見てきました。

一方で、誤解や一方的な評価によって深く傷つき、「もう誰も信じられない」「何を話しても誤解されるだけだ」と、本音を語れなくなってしまった人にも数多く出会ってきました。

その経験から強く感じるのは、人は誰でも、ある場面では被害者になり得ますし、別の場面では意図せず加害者と受け取られてしまう可能性もあるということです。

だからこそ、「相手が悪い」「自分だけが正しい」という二元論では、本当の解決にはたどり着けません。

大切なのは、お互いに相手の立場にも耳を傾け、事実を丁寧に確認し、感情だけで人を正義の刀で断罪しないことです。

人を守るためにつくられた制度が、人を傷つける道具になってしまっては、本末転倒です。

私は、被害を受けた人が安心して声を上げられる社会であってほしいと願っています。同時に、訴えられた人にも公平な手続きと説明の機会が保障される社会であってほしいとも願っています。

その二つは、決して相反するものではありません。

私はこれからも、一人のキャリアコンサルタントとして、みんなが安心して働き、人と人とが信頼し合い、本音で対話できる社会であってほしいと心から願っています。

「何でもハラスメント」の時代だからこそ、私たちは今ここで一度立ち止まり、本当に守るべきものは何なのかを考えるタイミングに来ているように思いました。

松田 たけお

涙が止まらない朝に読む処方箋

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