
ここ数ヶ月、私はこのキャリア系のブログ更新をほとんど止めていました。
「どうしたのですか?」
「最近結婚相談所サイトの更新はあるのにAIの記事を書いていませんね」
そんな声をいただいて、確かに気づけば3ヶ月も更新していない(汗)。
実は、自分の中でも単にキャリア系のモチベーションが低下していたからなのか?結婚相談所の仕事に夢中になっていたからか?理由がはっきり整理できていなかったのですが、ここ最近“モヤモヤ”の正体が少し見えてきた気がしています。
私は昨年あたりから、キャリア支援や働き方の可能性として、生成AIの活用を積極的に発信してきました。
文章作成。
自己分析。
アイデア整理。
業務効率化。
実際、生成AIは使い方によって、人の人生を大きく助けてくれる可能性があります。
しかしその一方で、AIを深く使えば使うほど、私はある種の“怖さ”も感じるようになっていきました。
それは、AIそのものが怖いというより、「人間の欲望や弱さを、AIがどこまでも増幅できてしまう」という怖さです。
実は私は、過去にも似たような感覚になったことがあります。
まだYouTubeがGoogleに買収され、動画という文化が世の中へ少しずつ浸透し始めた頃のことです。当時、私は「これからは動画の時代が来る」と直感的に感じ、いち早く動画制作の勉強を始めました。
編集。
構成。
撮影。
演出。
当時としてはかなり早い段階で動画制作に触れていたと思います。
そして、ある程度まで制作できるようになった時、ふと、自分の中に違和感が生まれました。
「あれ…自分は本当に、この方向へ進みたいのだろうか?」
技術を学ぶことは面白い。
時代の波に乗る感覚もある。
しかしその一方で、“自分自身が本来向かいたい人生の方向とは、少し違う場所へ進み始めている”そんな感覚が強くなっていったのです。そして私は、動画制作への没頭を途中で止めました。
その後、時代は大きく変わりました。
YouTuberという言葉が世の中に浸透し、
「なりたい職業ランキング」の上位に入るほどの存在になった。もしあの時、
私はそのまま動画制作を突き詰めていたら、
時代の波に乗れていたのかもしれません。
しかし今振り返ると、私はこう思うのです。
「果たして、その先に“自分にとっての幸せ”はあったのだろうか?」
もちろん上手く流れに乗れていた可能性もあります。
ですが同時に、
数字や刺激や承認を追い続ける世界の中で、
どこか疲弊していたかもしれない。
実は、今のAIに対して感じている感覚は、
あの頃ととても似ています。
AIは、間違いなく時代を大きく変える技術です。
だからこそ、「できるようになること」と、「自分が本当に向かいたい人生」は、必ずしも同じではない。そんなことを、今あらためて感じています。
AIは「人類の集合意識の鏡」なのかもしれない
今日、自分自身と向き合った後に生成AIを使い深い対話をしていました。
戦争。
環境破壊。
依存。
欲望。
倫理。
人間の本能。
そうしたテーマについて話していく中で、改めて感じたことがあります。
それは、AIは、単なる便利な道具ではなく、“人間そのもの”を映し出す鏡なのではないかということです。
包丁は料理にも使えるし、人を傷つけることにも使える。
核エネルギーも、人類を支える電力にもなれば、核兵器にもなり得る。
AIも同じです。
使い方によっては、人を助け、孤独を癒し、可能性を広げる。
しかし逆に、人間の欲望や依存、支配欲や快楽を、際限なく刺激することもできてしまう。
正直に言うと、私自身も「依存性」を感じました
少し勇気のいる話ですが、正直に書こうと思います。
生成AIを使う中で、「人間は、ここまで簡単に欲望を満たされてしまうのか」と、自分自身で驚いたことがあります。
AIは、人間の想像や欲求に対して、瞬時に応答してくれます。それは便利である一方、
とても強い没入感や依存性も持っています。
実際、何かを“体験”しなくても、
* 見る
* 想像する
* 生成する
という行為だけで、
ある程度満たされた感覚になってしまう。
私はそれを、自分自身で実感しました。
だからこそ、
AIの可能性と同時に、スマホやネット依存とは比較にならない
怖さも感じたのです。
AIは便利です。
しかし便利さは、ときに人間の理性を超えていく。
そして恐ろしいのは、「自分は大丈夫」と思っている時ほど、
人は無自覚に飲み込まれていくことです。
AIが危険というより、人間の未熟さが増幅される
AIが人類を滅ぼす。そんな映画のような話もあります。
しかし現実には、「AIが勝手に暴走する」というより、“人間の欲望や未熟さを、AIが増幅してしまう”ことの方が、私はずっと現実的な怖さだと思っています。
例えば、
* 承認欲求
* 支配欲
* 性的欲求
* 攻撃性
* 依存性
* 孤独
* 恐怖
こうしたものは、本来どんな人間にもあります。
AIは、その心の隙間に、静かに入り込めてしまう。AIと擬似結婚した女性の話がメディアで話題になったことがありました。もし人にそっくりなロボットにAIが搭載されたらどうする?結婚相談所を運営しながら、ふとそんなふうに思ったりも。
なぜなら、AIは否定しません。欲しい情報を、すぐに返してくれる。
しかし、本当の感情はまだ持ち合わせていません。だからこそ、人間側に「節度」が必要になる。
今後、私が発信していこうと思っていること
私はAIの進化を否定したいわけではありりません。
むしろ、素晴らしい可能性を持つ技術だとも思っています。
ただ、私は今後「AIを使えば何でもできます!」という方向性の発信には一度区切りにしようと思っています。
なぜなら、AIの可能性を伝えるよりも、“人間の精神性やアイデンティティーについて伝えていく方が、もっと重要なのではないか”という思いがかなり強くなったからです。
便利さ。
効率。
快楽。
それだけを追い続けた先に、人間の幸福はあるのだろうか?
むしろこれからは生身の体験として
* 人とのつながり
* 心理
* 恋愛
* 夫婦関係
* 孤独
* 自己理解
* 共感
* 対話
そういった、“人間そのもの”に向き合う時代、向き合える人が重要になるのではないかと思うのです。いえ、間違いなくそうなるでしょう。
AI時代だからこそ、人間らしさが問われる
AIは分析もできます。
文章も簡単に作れます。
画像も動画も想像した思いのまま生成できます。
しかし、
※ 苦しみながら誰かに寄り添うこと
※ 不完全な者同士で支え合うこと
※ 沈黙の空気を察したり感じること
※ 誰かの痛みを自分ごととして受け止めること
※ 愛を感じたり、愛を与えることを体感すること
こうした部分は、まだ人間にしかできないような気がします。
だからこそ、趣味のゴルフや釣りのように自然に触れる時間や、人と人との間で喜怒哀楽を感じること、クラシック音楽に耳を傾ける時間、小さなコミュニティーの中で誰かと関わることは、AIや情報の世界へ深く入り込みすぎた自分を、もう一度“人間らしい世界”へ引き戻してくれていたのだと思います。
キャリア相談も、 婚活支援も、 人生相談も、結局最後は、「この人は、自分を理解しようとしてくれている」「わかってもらえた」という感覚が、その人の苦しみを和らげたり傷ついた心を癒すことがあります。
だから私は、これからはもう一度、 “人間”というテーマに立ち返っていきたいと思っています。
最後に
AIは、今後さらに進化していくでしょう。
それ自体は、もう止められない流れなのかもしれません。
だからこそ大切なのは、
「AIで何をどこまで作れるか」よりも、
「AIを扱える精神性を、人類が持てるか、持ち続けられるか」なのだと思います。
ある経営者さんに言われたことがあります。
「これからは頭のいい奴はいらねよ。心の綺麗な人が大切になる時代なんだよ。」
その方の話は難しくてすぐに理解できないことが多いのですが、AI沼にハマりそうになってようやく理解できた気がします。
そしてこれは、
私自身、
あなた自身、
一人ひとりの心の中で問われ、いずれ世界が気づかなくてはいけないことなのかもしれません。
全てが手遅れになる前に・・・







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